10代の頃

明けましておめでとうございます。

 

2019年

皆様が幸せでありますようお祈り申し上げます。

 

何故私が新しくブログを立ち上げたかと申しますと、

ひとつは私の今までの人生をお伝えすることで、今悩んでいる方達に希望が持てたらという思い。

不幸だったと思う時から何故抜け出せたのかお伝えしたいと思うようになりました。

 

そして、

最近今までやってきたブログに重たさを感じるようになってきました。

 

私のブログではないのですが、

ものすごく沢山の方達がやっているブログです、無理して頑張っている方達がとても多く感じるようになってきて、そこから感じられる気の重さが負担になってきました。

 

そこから抜けて、

もっと自分の事を伝えていきたいと思うようになりました。

 

ですが、

今までのブログも続けてはいきます。

 

ちょうどそんな時、

波乱万丈な私の人生を本にしたらどうかと言って下さる方がいました。

本ではなくブログで書いていき、

繋ぎ合わせて本になれば良いかな(^-^)

と。

 

平野亜弥としての活動の開始です。

 

よろしくお願いいたします。

 

10代の頃は、

常に不安、自信のなさ、時折訪れる恐怖に近い寂しさがありました。

 

何故だかわかりません。

 

理由がないのです。

 

おじくそたれ!

私の田舎の方言で臆病者のことをいいます。

 

おじくそたれで有名でした。

親もおじくそたれ!といつも笑います。

 

夜も異常に怖い。

 

後ろから感じる視線に怯えていました。

上向きで寝ると金縛りに合う、

横向きで寝ると後ろの視線が怖い。

結局、壁を背にして寝るか、うつぶせでしか寝られないのです。

 

これは40代まで続きました。

 

もう今は大丈夫です。

 

子供の頃育った家の裏は、

空地でその左手の小さな森がありました。

森の中にはお地蔵様が祀られています。

 

夜になると梟が鳴きます。

真っ暗な森から見える視線が怖かった。

お化けの集まる場所だと思っていましたから、夜はそこを見る事さえ出来ない。

昔ですから火の玉も飛んだりします。

 

昼間でも暗く湿っぽい。

 

正式には遺跡なのです。

 

少し前に訪れました。

 

ずいぶん変わっていましたが、

森はそのまま。

 

今見てみると、

とても気の流れが良い場所です。

 

清らかです。

 

多分そこに集まる聖霊達のいたずらに怯えていたのでしょう。

 

大人になり訪れてみると、

私は凄い場所で生まれ育ったのだと思います。

 

熊野の聖地で、

神の山といわれる山を遊び場にして、山の中を駆け回って育ちました。

 

パワースポットの気を毎日受けて育ちました。

 

ありがたいことです。

 

子供の頃は当たり前で何とも思いませんでしたが。

 

裏の森からも不思議な体験を沢山しています。

地元の人しか知らない言い伝えなどがあり、口伝で伝えられています。

 

田舎の小さなパワースポットなので、人が訪れる事もあまりなく、清らかなままなのです。

本来パワースポットとはこのような場所を言います。

 

エネルギーが強くパワーチャージ出来る場所。

 

ですが、

パワースポットブームで、パワースポットといわれる場所には沢山の人が訪れます。

パワースポットの回りには沢山の人が残していった気が充満しています。

パワーをもらいに行きながらうっかり良くない気をもらってしまう場合があるので気をつけないといけません。

 

そして、

小さな時からエネルギーを充満してきた私は、自分の中でも燃えるエネルギーをどう扱って良いか分からず、生きる意味は?

私は何者?沢山の疑問の答えを求めて20歳の時仏教の道にと進みました。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

自分の事その1

こんにちは(^o^)

 

子供のころ、

私はダメ子でした。

 

私の子供の頃は今とは違い、

学校の先生は怖い存在であり、

特別な存在でした。

 

その先生から、

ダメな子、ダメな子と言われ続け、

本物のダメ子に成長していきました。

 

言霊、

思った通りになる、

言った通りになる!

 

まさにこれです。

 

ダメ、ダメって言われると、

ダメになってしまうのです。

 

親からも、

学校でも、

回りからダメな子と言われ、

 

お利口さんでハキハキした明るい姉と事あるごとに比べられ、

次第に私は自分の意見を言わない子に成長しました。

 

あの状況でよく学校に行ったなと思いますが、先生はいやだったけど友達と遊ぶのは楽しかった。

 

遊びに学校へ行っていたようなものです。

 

休んだ事もなく、

皆勤賞をとるのが毎年の目標。

 

放課後のために学校へ行っていた。

友達と過ごす時間が自分らしくいられたと思います。

 

 

そのまま成長した私は、

いつも心に満たされないものを感じていました。

 

私の心を満たしてくれるものはなんだろう。

 

男性との恋愛でも上手く付き合えない。

自信のなさから相手から嫌われてしまう。

 

恋愛になると、

どうして良いかわからない。

ぐじぐじして、うっとうしくなるのです。

 

今思うと、

私は激しいのです。

心が熱い!

 

一直線です!

 

何も要らないの!

あなたの心が欲しい!

魂で愛し合いたい。

 

と全部で迫っていきます。

 

怖いわー(・・;)

受け止められる男性はそうそういないのです。

私の熱さに負けてしまう。

 

今ならよくわかりますが、

その頃はわからないので、

どうして上手くいかないの?と悩んでおりました。

 

でも受け止められる人がいるのですよ。

熱さをスーっと受け止めてくれる。

 

大きく手を広げて、

大丈夫だよ、安心してって。

私の熱さにびくともしない。

 

それが今の主人です。

 

今の主人と出会って、

自分の熱さに皆負けていて、受け止められるほどの男性がいなかった。

その事に気がつきました。

 

熱さをぶつけても受け止めてくれる人がいる事で落ち着いてきました。

 

自然体でいられる事が心地よく、

幸せを日々感じるようになりました。

 

何も無理しない。

そのままの私でいられる。

 

ありがとう、

私を見つけてくれて。

 

ベストタイミングで出会いました。

 

次は孤独に生きてきた時期の事からお話ししていきます。

 

 

 

始めます

こんにちは。

 

平野亜弥です。

 

平野亜弥で活動するにあたり、

今日は高輪の泉岳寺にご挨拶に行って来ました。

 

こちらのお寺には、

私のご先祖様のお墓があるといわれています。

残念ながら場所は特定されておらず、今日はご本堂にお参りしました。

 

私の先祖は、

秀吉に仕え、加藤清正石田三成と共に七本槍と呼ばれた武将平野長泰です。

 

後に家康に仕える事になりますが、

他の七本槍の方達とは違い、頑固さゆえにあまり出世もせず、名も残さなかったようです。

 


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泉岳寺

 

亜は自分の名前、

弥は旦那様の名前から一文字。

 

これからの人生を旦那様と共に生きていくと、心に決めた名前です。

 

字画は最高です(^o^)

 

本名では伝えられない事が沢山あります。

 

最高の名前と共に、

私の人生をお伝えしていこうと思っています。

 

私の旦那様は、

前立腺がんです。

気がつくのが遅れ、

わかった時には骨に転移をしていました。

 

後2年でしょうと言われましたが、

まもなく2年になります。

 

元気ですとは言えませんが、

二人で手をとり頑張っています。

 

主人が頑張っていられるのは、

不思議な力が影響しています。

私と私と共に力を合わせてくれるセラピストさん達。

 

感謝のなかで生活させて頂いています。

 

私達夫婦は24歳の年の差があります。

一緒になった頃からずっと、いつかひとりになる時が来るのだからと言い聞かされてきました。

 

死が永遠の別れではない事も前世を見ることで分かっています。

 

今生での別れは寂しいけれど、

又必ず会える。

 

だから今は毎日、

今を大切に生きています。

 

先の別れを悲しんでもしょうがないこと。

 

今一緒に笑ってすごそうね。

 

私達夫婦はそう決めました。

 

30歳の時、

何もなかった。

 

毎日泣いていました。

 

息子だけが私の支え。

 

この子は絶対幸せにする!

 

そう寝顔をみて決心しました。

 

今その頃欲しかったものは全て手にしました。

毎日が幸せです。

ありがたいです。

 

その頃に戻りながら、

私の人生を振り返っていこうと思います。

 

皆様どうぞよろしくお願いいたします。